だんじりとしゅら


 だんじり研究者前河三郎氏の論文より

 岸和田のだんじり祭に文化財論を持ち込んだのは考古学者の毛利一郎氏であった。  昭和49年に岸和田で発足しただんじり研究会は、だんじりのことなら何でも調べる、という姿勢で各地 の資料を集めた。  その後、大阪のだんじり研究会や、兵庫のだんじり研究会とも交流しながら、だんじりのルーツ探しが進 められ、だんじりのルーツは修羅にあるのではないかと、という仮説にたどり着いた。
 藤井寺の三つ塚古墳で昭和53年春に発掘された修羅と岸和田だんじりをはじめ各地のだんじり資料を比 較したところ、その構造・機能・曳航方法が非常によく似ていることが分かる。
 まず、修羅にあった計15個のホゾ穴であるが、横木を差し込んで押したか、あるいは綱をとおして引っ 張ったとされている。
 岸和田だんじりの土台にはテコを指し手押すため、両側に5個ずつの穴がある、全部の端(ハナ)テコ2 個と後ろテコ要の穴を入れると計13個ある。
万力と呼ばれる大屋根を上下させる装置のついたものは万力要綱穴を入れると計14個となり、ほぼ同数で ある。
 また、修羅先端にある引き綱を通したと見られる2つの穴があるが、だんじりにも土台の前部に2つの曳 き綱鐶(ひきつなかん)がついている。
 第2に、主谷使われたと思われるコロとだんじりの車輪の関係である。岸和田のだんじりの車輪は丸太を 輪切りにしたもので、幅が25〜30センチ、高さは64センチある。
 岸和田だんじりは大阪のだんじりの形を輸入して改良されたものとされているが、大阪市鶴見区茨田大宮 のだんじりの木星車輪は幅が90戦地もあり、コロに軸を付けたものであった。つまり、修羅のコロが大阪 だんじりに引き継がれ、岸和田だんじりにその名残を伝えていると考えられる。
 元亀・天正の戦国時代より、江戸時代の元和・寛永年間、日本国中に数多くの白を築いた築城図の中に修 羅や地車を使用している絵図をよく見かける。なかでも最近発見された築城部屏風に書かれた駿府城築城の 様子は、修羅に巨石を載せて運搬しているが、華やかな装いをした石の上の人物画ホラ貝を付記、日の丸の 旗竿を建てて大台事小太鼓をたたき、采配を振るっている光景はホラ貝を笛に置き換えればだんじり祭その ものである。
 また、大阪城築城図の法も地車に巨石を載せて運搬しているが、巨石の上に見える小姓姿のじんぶつは横 笛を付記、大太鼓、小太鼓、締め太鼓、采配を振るう人と日の丸のセンスを広げる人達等で、今の祭と全く 同じ曳航の有り様である。
 地車の土台より日本出ている曳き綱も方向転換しやすくするため、一度土台のすぐ前で一本に結び、一転 に力を集めて再び2本に分ける方法など、各地のだんじりとも共通のしきたりは、当時の土木作業の去り様 をそのままそっくり祭礼化したと見られるか、または逆に築城などの土木工事が、それ自体お祭騒ぎと化し ていたとも考えられる。
 土木作業の祭礼化については、次のように考えられる。
 岸和田藩が幕府の命により歴代、大和川奉行を任じ、摂津河内五郷を流れる大和川の治水工事を施工して いたが元禄16年に中甚兵衛らの願いにより五藩分担して、もと柏原・八尾より北へ流れ、淀川に合流して いた大和が輪を西へ堺の北を通り、直接大阪湾へ付け替える河道改修に着手、翌宝永元年9月完成。  岸和田城内三の丸稲荷祭にあわせて、完成祝賀の祭りが催されたことが岸和田だんじり祭の起源とする説 がある。
 「五尺に二尺五寸の土砂運搬の箱車のだんじりに太鼓打ち一人乗り御祭相勤め申し候」と口上、町民らは 芸をして殿様に見せたという。
 また、香川県の西部から愛媛県にかけてのチョウサの由来も一例である。
 太鼓台は淡路、大阪付近でにないだんじり、またはだんじりと呼び、徳島では、ヨイヤシャという。 サシマショを呼ぶ地方もある。讃岐では主としてチョウサと呼んでいる。
 その昔、儒学者の張子公という中国の人が高松藩へ亡命して松平公の庇護を受けていたが、領内の道路が 悪いのを見て、これを修理する一策として支那の様式で太鼓台を作り、祭礼に用いさせた。 これが領民の人気を呼んで村々に大きな太鼓台が作られ、村内を賑やかに練り歩くようになった。その結果 、道路が修理され、端がかけかえられて領内の交通が大変便利に成った。領民は太鼓台のことを張さんと呼 ぶようになったということである。チョウサン訛ってチョウサとなったのである。
 つまり、だんじり、太鼓台は土木工事と因縁浅からぬものがあるのである。

その他だんじりと修羅にまつわる記録、伝承等


斎藤俗談一典故 修羅俗石引車を修羅と云。室町殿日記 楠木、松の虹梁をもって修羅車を造りて之に引の せ、道すじには丸太をしきてその上にあらめをまかせてぬめりを以てやりにけり。云々
安斎随筆前編十四 修羅車 今世地車と云物の大なる歟
嬉遊笑覧二下器用 節用集に修羅は引大石木鳴りと註せり また地車などもしか云ひにしや。明治以前、大 日本土木史は近世の作なれども、相当考証を経て書かれ樽元禄時代東大寺木引きの図にして、用車は地車ま たは修羅車と見て差し支えなかるべし 云々

 修羅は古代の運搬具、仏教語で悪魔の意味、帝釈天と戦い、帝釈(大石)を動かした固辞にちなんだ阿修 羅王のことをいう。仏教辞典には
 阿修羅王とはとうり天の主宰、帝釈天を向こうに回して大合戦を続ける大魔王、無酒・非天・非類・不端 正・凶悪性の想像神、日や月の体に噛みついて日食、月食を起こす神話の主で、大海に住む海の大魔王。 帝釈天とは帝はインドラ(皇帝)の訳、釈はシャクラ(釈迦)の音訳、須弥山(しゅみせん)の頂上、とう り天の天守にして善見城に居り、四天王及び三十二天を統領して仏法およびその帰依者を護り、阿修羅の軍 を征する天主、古代インド神話。帝釈宮に住む。
 須弥山(しゅみせん)世界の中心にそびえ立つという高山。頂上に帝釈天が住む。八幡座かぶとの頂上で 須弥壇ともいう。
 須弥壇 寺院の仏殿のこと。須弥山にかたどったという。(岸和田だんじりも須弥壇も同じ社寺建築様式 で共通している箇所が多い。)古からだんじりや太鼓台の語源の伝わる地域の社には八幡神や住吉神に縁の ある海・船・銭背負うに関係する神々の祭が多く、瀬戸内海・四国・大阪・紀伊水道沿岸に多い。
 全国八幡進行の総本宮である宇佐八幡宮で行う八幡祭の最大の儀礼とも云われる放生会と行幸会のしきた りがこれら地域に伝承されている。中でも石清水八幡宮、鶴が岡八幡宮、だんじりのはじまりとも言われる 誉田八幡宮などが有名である。浜松歌国の摂陽奇観巻之四には「車楽(だんじり)」と題して「河内の国古 一郡応神天皇陵、誉田祭、卯月八日にも出る。これは神功皇后三韓退治の御時、磯良の神、住吉の神など船 にて舞い給うをまねびけるとぞ。この車楽の屋形には多く錦繍を纏わず、児どももようの布かたびらを来て せいのふという舞を奏し、笛の音殊勝なり。作り花かざりて古雅なる体、およそ上代の遺風なるべし。これ 車楽(だんじり)のはじまりと誉田の村民はいうなり。また、浪花の夏祭に囃子ものの屋形を作り車もて曳 くをだんじりと呼ぶ。地車ともいう。」云々。
 また、奈良の大仏を建立する再(743年)宇佐から八幡神を迎えるにあたり紫色の輦輿(れんよ)にお 乗せしたというのが神輿の始めとされる。
 宇佐八幡の縁起書には、天平16年甲申(744年)の放生会には傀儡子船(くわいらいしせん)、くぐ つせん)でクグツの舞と相撲が船上で演じられている。
傀儡子とは木偶とも云い、あやつり人形のことで、淡路や徳島の浄瑠璃人形のルーツとも関係あり。(淡路 の曳きだんじりの舞台構造から見てだんじりで演じたとも解される。)天神祭のお迎え人形や地車の木彫り なども元は傀儡船の伝承だと思う。祭の日、誉田八幡宮や河内の地車の上でニワカを今も演じている。藩政 時代には角力やニワカを演じた岸和田だんじり祭も八幡祭であり、別名カニ祭と言われる。
もとはカニの放生会からで、太鼓台で有名な堺市の百舌鳥八幡宮では鯉などの魚の放生会を今も行っている が、放生会の儀礼はその時の行政や地方の風習等で多少の違いはあっても八幡の儀礼は各社通じるものがあ る。
宇佐神宮由緒書として県重要文化財八幡宇佐宮託宣集十六巻の社伝に八幡さまが誉田別尊としてお生まれに ならぬ前世のことを述べている。それによると「八幡様と高千穂明神、阿蘇明神は兄弟で天降ってきたが、 八幡さまは韓国獄(からくにだけ)の虚空の帝釈宮で印鑰(いんやく)を授けられたので、聖母神功皇后の 胎中に、やどられ、誉田天皇として生まれた云々)」
 帝釈宮は海の主、修羅を征した帝釈天の住む須弥山にある。仏教伝来による日本の神との本地垂述節だと 思うが、祭神の故事に相応しい戦記物の木彫りや幕は修羅ごとであり、修羅場という。戦争に関連する木偶 や人形を修羅車の上に載せて神幸する祭。修羅のうえに修羅を載せて曳く地車祭だと気付く。修羅が祭礼移 動神座の源だと言えるものに京都祇園祭に出る山鉾の土台を今も「石持ち」と呼んでいる。
 長さ6メートルある「石持ち」は石が落ちないための横木のことで石を運ぶ台即ち修羅の土台を今も「石 持ち」と呼んでいるのである。
 古代修羅の使用については宗教関係以外に使用していないことも歴史家の通説になっていることからも、 修羅と山車やだんじりの関係は切り離しては考えられない。
 我々の祖先が、ひもろぎ(神の依代)を大石に求め、祭場へ運ぶ磐境(いわさか)信仰の神迎え、神送り の儀礼が現在の地車祭として祭礼化して来たものと考える。

「私も見たい。曳きたい。」と思った方はメールください。
こちらへ
写真夜のだんじり


道明寺のだんじり


INDEX DANJIRIROOTSLINK MAP