祭りの裏方の記録

MAKING OF "MATSURI"


なんと祭の準備は祭の最終日からはじまる。97年10月11日夜

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97年10月11日
 連日の巡行に加え、13時から町会会館前で、にぎにぎしくもちまきを行う。去年の反省もあって、 ゆったりとたくさんのもちをまき、好評のうちに終了 昨年の反省がみんなの意識にある限り、祭りはだんだんと「よく」なる。
だんじりが提灯をはじめとする部分で立派になり、大型化するのにしたがい、従来巡航していた、町内の狭い道「むらなか」の通行が
できなくなった。  来年は提灯の高さを押さえ、町内くまなく回れるようにしないといけない。
 また、中学、高校生の若手が担ぎ手として参加し、勢いがました反面、昔から担ぎ手としてがんばってきた層がやや参加しにくい 雰囲気が出てきている。
来年は、より幅広く祭りへの参加を呼びかけるととおもに、計画段階から、主だったメンバーには声をかけるなど、町内、年代を問わず、 参加をよびかけることにする。
組織としてはいままでは自然発生的、自発的運営に任せてきただんじり保存会の役員名簿、規約等を定めることとする。 しかし、当面みんなの関心は25日の国体前夜祭。

西地区の合同練りあいを見学。これは25日国体前夜祭のリハーサルを兼ねている。 藤井寺球場前の広場はだんじりが2基同時に練るのは危険とわかる。 プログラムを練り直す必要があると各地区から指摘がでる。

97年10月25日
なみはや国体剣道競技前夜祭に参加
すごい人手5000人を超えたか。進行は概ね5分から10分遅れでほぼ順調に推移。
意気があがりすぎ、フィナーレの時間を大幅に超えて練る地区があらわれ、一時混乱する。 林地区のだんじりがいち早く球場前広場から退出し、これを潮に、大団円。
でも、この混乱も見物のギャラリーには、迫力があるとのことで好評であった模様。
反面、多数の観客を誘導、整理することが困難であった。球場に入れない人、通行者の停滞が かなりあった。
特にふとんだいこ2基の「がんばりすぎ」にだんじりが主力の東地区からのブーイングが少しあった。 伝統の西(旧藤井寺村)東(旧道明寺村)の競い合いが形を変えて現れたとも言える。

97年11月9日
東地区反省会
7地区代表が某レストランで集合。堀端宏市長が急遽挨拶にかけつける。 慰労と、退場の際のフィナーレ、会場整備その他でのちょっとした混乱、東地区からの要望に対する ねぎらいとお詫びの言葉があった。
しかし、藤井寺全市をあげてのお祭りが初めての試みで成功を収めたことは 事実。反省会の結論も来年も東地区でも組織を確立し、合同で祭をやる。
以下、順次更新

97年11月21日
藤井寺市秋祭り連合会反省会
会計報告、その他議事は無事終了、各地区で製作したビデオ、写真等を見ながら、祭り談義に花が咲く。 堀端視聴もかけつけて、ご満悦のよう。
あちこちで来年は、の声。 体育の日がらみの連休をあてにせず、本来の祭りの日、9日、10日という日程を固定しようとの声が 強いようである。 とにかく、せっかく連合の組織ができたのであるから、これからも何らかの形で 全市合同で祭りをやろうとの機運が生じている。

97年12月28日
林地区歳末夜回りの席にて 特定小電力トランシーバーは、さほど役にたたなかったこと。
だんじり保存会の役員人選、婦人部?の組織化その他煮詰まる。

98年2月27日17時から 於 藤井寺市立市民総合会館中ホール
第52回国民体育大会藤井寺市実行委員会 感謝の集い 同上実行委員会主催で感謝の集いが行われた。前夜祭の主役たる祭り連合の各地区代表の面々にも招待状が。
地元府議会議員、市長、市議会関係者等、にぎにぎしく祝辞。
これにさきだって行われた実行委員会で会計処理その他も滞りなく、承認された模様。
50年に一度の国体が、無事成功のうちに終わり、本当にめでたい。
とにかく今年も何かやろう、との決意がみな共通に。
19時で早々にお開き、あとはうちわで打ち上げか。

98年3月29日
林5、6丁目町会役員引継ぎ 祭り関係も含み、会計処理終了。今年は、5年に一度のお稚児さん行列を行うこと、東地区で合同の行事を 予定していること、町会各世帯により一層の協力をお願いすること、等、お願い、了承される。

98年4月4日
藤井寺市東地区秋祭り連合会例会 会則そのたほぼ決定。毎月第1土曜日に定例の寄り合いを開催し、祭り本番に備える。

98年5月2日
藤井寺市東地区秋祭り連合会例会 9日の合同練り、コースほぼ決定。