東日本大震災の被災地を訪問

NPO法人大阪府高齢者大学校の有志の面々と被災地の今を見てきました。
 2013年8月27日 仙台空港・閖上(ゆりあげ)地区
      28日 気仙沼・大島・石巻
      29日 松島を経て相馬・南相馬・浪江町 
宮城を中心に災害後2年を経た現状と復興の有様を見学し、被災者やボランティアのお話しを伺い交流しました。
福島県の浪江町では町の職員の方に帰宅困難区域を案内していただいた。

常磐線では未だに不通区間がある。

浪江町は人が長時間滞在出来ないため、全く復興が少なく、地震で壊れた家はそのまま、漁船や廃車も田畑に残っている。
が、閖上も気仙沼も石巻も、がれきがほぼ片付いた(なくなってはいない。)ものの、津波に流された家の基礎が残り、電柱が立ちつくし夏草が生い茂る荒涼とした風景が拡がっていた。 双葉町の一次避難所、埼玉県加須市の旧騎西高避難所には7月19日現在107人が暮らす。

阪神淡路大震災からの復興はこんなに遅くはなかったのでは?と調べてみると(wikipedia他から抜粋引用)、次のような状況である。
 JR東海道線 地震発生から74日後の4月1日に最後の不通区間である灘駅 – 住吉駅間を復旧
 山陽新幹線 新大阪駅と姫路駅の間が不通となっていたが、81日後の4月8日に不通区間を解消
 阪急電鉄: (地震発生から146日後の)6月12日
 山陽電気鉄道 : (152日後の)6月18日
 神戸電鉄 : (156日後の)6月22日、全線が復旧。
 阪神電気鉄道 : (160日後の)6月26日
 埠頭・コンテナバースが復旧1997年(平成9年)3月31日(2年後)

 避難所 1995年1月23日1153カ所 避難者数316678名 1995年7月20日災害救助法に基づく避難所廃止
     応急仮設住宅に入居出来ない6672名を対象に1997年3月31日まで12カ所の待機所を運営
 仮設住宅 ピーク時約46000世帯。2000年1月14日に解消

2年6ヶ月後の東日本の現状をどう見るか。
原発事故があったから。災害の規模が大きかったから。大阪のような都心ではないから。
そこで生きている人には言い訳にならないだろう。

被災したひとたちは「普通に暮らしたい」、それ以上は何も願っていない。それが良く解った。解ったが進んでいない。こんな当たり前な願いが2年以上放置されてような感がある。

では何をなすべきか、引き続き考え、出来ることはやっていくことにする。

(写真は閖上地区)

(続く)