昔大阪に春日出発電所と言う小さな火力発電所があった。古くて出力も大きくない炉が2基。ネットで調べたら2つあわせて30万KWとある。
 春日出発電所ファイナル

 ふとこんなことを書いたのは、福島原発の惨状を思い出したから。福島原発は6基合計で470万KWにもなる。電力を賄うのにどちらが大きく貢献しているかは量的には論を待たない。

 妹がこの春日出発電所で働いていた。
 夏には従業員家族が集まってビアパーティを開くような家庭的な一体感のある職場で、私も寄せていただいたことがある。
 取水口のクラゲ取りが日課だったり、ちょくちょく故障したり、面倒な設備だったようだが、電力需要の急上昇に、機敏に対応できるため、夏場は重宝したそうな。送電コストも安いだろう。

 今は出力あたりの稼働コストが高い、とかで廃止され、コーナンになっている。

 今考えると福島の真逆をいく発電所だったのだな。
 廃止して跡地をコーナンにできる融通性、ここまで考えるとこれからsuperでも建てられるようになるまでン何円、何年かかるか判らない原発より経済的だろう。
 地産地消的発想で言うと春日出発電所の電気を大阪人は使えるが、東北の人たちは使えない。
 春日出発電所では職員がクラゲをすくっていたが、福島では地元出身の人が中心だろう、東電や協力会社の人が放射線水をすくう。東京の人が使う電気のために。
 経済的合理性よりも、何か、社会的な不合理を感じてならない。

 自分の必要とするエネルギーを自分がどう確保し、痛みををどう負担するか、考えていかないと。。