どろあしのままで
 いやなこと きいたら そのみみを あらえ
 いやなものを みたら そのひとみを あらえ
 いやしいおもい わいたら そのこころを あらえ
 そして あしは どろあしのままで
 どろあしのままで いきてゆけ

日本海重油災害の時に教えてもらい、ボランティア、かくあるべし、と思った。

 人間には社会には、理不尽なこと、できれば知りたくないこと、ある。
 が、いやなところのある人間でもたすけを求める時がある。
 何かたすけになることを。
 泥によごれて現場ではいずりまわっても、やるべき時はあるのである。
 やるべきことをやった、その経験だけ持ち帰れば
 助ける側の自分にも糧があるはずだ。

だいたいそのように理解して、少しだけでも実行しようとしてきた。

が、

今、福島ではこどもたちがどろあしで生きていけない状況がある。(らしい)

思えば、放射能はボランティアの一番の大敵である。
 手間暇がかかり、生の人が多数かかって、何かの役に立つ。
 それがボランティア。

 生身の人間を寄せ付けない。強い善意の人間をも密かにむしばむ
 それが放射能。

人間の日常を取り戻したい人と、助けたいという人の気持ち、
両方を黙して拒んでいる元凶は原発である。

 どろあしで生きること。
 どろの中でもがいている人をどろあしで救うこと。

これだけは返してほしい。