三根隆三氏。
5月に亡くなられた。その死を悼むのではない。惜しむ。惜しむと言うより氏に去られた、氏の不在なる世の中を哀しいと思う、そんな気持ちに近い。
長命であり、近年においては、結果として大変高齢であられた。
少しどころかかなり惚けていたと言う人もおられるかも知れない。
否定はしないが私は「公(おおやけ)に呆けて(ほうけて)いた」と思っている。
記憶があやしくなり結果私心をすべて忘れてしまった。
郷土の、公共の、みんなの、自分以外の何かを想う気持ちだけが純粋に残った。
そんな人格であった。
道明寺の太鼓の復元に私財を提供し、太鼓が損なわれたと聞いては原因を問うことなく欠けた太鼓を補い、三ツ塚の修羅(しゅら)が出土すれば藤井寺での保存・展示を訴え、小さな修羅を市立図書館に取り戻した。大きな修羅も近つ飛鳥博物館から藤井寺へ、と運動されていた。最近は遣唐留学生井真成の遺業を顕彰しようと奔走するメンバーの一人であった。
教育分野での業績から叙勲も受けた偉人である。が、忘れてしまったかのように勲位を誇ることもなく、若者に対しても地元に対しても傲ることなく、人に対して説くことすらなく、何かを強いることもなく、いつも何かおおやけのためになることを成して欲しいと、自分のこととして他人、周囲に「頼んで」おられた。
このような、私のない人物が今この世にあるだろうか。
そんな氏に私は幼い頃から接し、ある意味可愛がってもらい、説かれるでもなく導かれた。こんな素晴らしい教育があっただろうか。
追悼に際し、私が悔いることと誇ることは実は同じである。
氏に頼られればいつでも引き受けたこと、そして半分以上何もしなかったこと。
「ふじいでらのために、ひとつ骨を折って調べてくれないか?
忙しいのにごめんな。。急げへんから。。」
「わかりました!時間がかかりますが、良いこと。。調べます。」
氏はここで満足し、結果を問い合わせたり、急かしたりしない。ひょっとしたら忘れているのでは?が、頼まれた私は何か覚えていて、直接にはさぼっていても先を生きるときに、何ごとか師の志を保っていて何らかの結果を成すだろう。
結果、氏の志は活かされる。
能力や資力や権力でなく師のこころのちから、みたいなもので世の中に貢献する、そんな人材があとに続く日本の世の中であってほしい。
※Webの情報で故人を偲べるのは地味なことに限定される。
曰く
藤井寺市郷土研究会 会長
藤井寺市ソフトボール連盟副理事長
昭和35年3月31日 大阪大学で博士論文(国会図書館に寄贈)
平成21年度共同募金寄付者
『辻幾之助とその周辺』(松吉武雄著)という手造り小冊子の復刊。
天商同窓会
大阪大学未来基金寄附者