何を隠そう私の母校生野高等学校の先輩である。ちょうど母校の創立90周年記念行事の講演でお話を聴く機会があった。

戦場やチェルノブイリ原発で、様々な苦しみに出会ったお話、高校時代の話、様々なお話が伺えたが、、一番印象に残ったのが、「日本には本当のジャーナリズムが育っていない。アメリカでもそうかも知れない。所属する新聞社や、国籍や様々な属性にとらわれて、自由でジャーナリストとして責任ある使命を果たせていない。」
「A新聞の記者」、「D広告代理店所属」「アメリカのフリーカメラマン」など、それぞれ、自覚を持って活動されている立派な人が多いが、人間が大事にしないといけないのはもっと上位のidentityではないか?
「A新聞社の記者は、A新聞社の方針に沿った記事を書き、アメリカのカメラマンはアメリカ人にとって見るに忍びない、自国に都合が悪い光景にカメラを向けない。D代理店の所属である人は自社の媒体に載せて売れるかどうかを考える」本当に大事なこと、大切にしないといけないidentityとは、団体、会社、国に属しているということより、われわれジャーナリストにとっては、所属を超えてジャーナリストという職業についていると言うことではないか。日本では社員教育はしてもジャーナリストを育てる教育はない。」
「なぜか。しばしば、ジャーナリストとしての使命と○○社所属の記者としての使命は一致しない。本当のジャーナリストの使命を持って動く社員はしばしば会社にとって不都合であるから。新聞社に属している記者でもジャーナリストとして立派な人はたくさん居るが、残念なことにあまり歓迎されず、社員としては失敗している。」
「」内は氏の語録ではなく、講演内容とその後の談話の大意を私の理解なりにまとめたもので、私の理解不足があったらごめんなさい。

なるほど、我が身に飜して考えると大阪府の○○課の職員、府の職員、公務員、
市民、ボランティア、NPO活動者、日本人、そして人間。

自分のidentity、て単一のようであって、実は重層的で多面的だ。より上位のidentityを大切に意識する、これで視野が広がり、大義が見えてくるのではないか。

DAYS JAPAN
http://www.daysjapan.net/index.html

ところで、尖閣諸島のビデオ流出事件であるが、世界市民コスモポリタンとして見れば、カラダを張って自国の領海(だと認識、あるいは主張のうえで)創業した漁船もカラダを張って領海を守った海保の巡視船と乗組員。両方立派なんだろうけど、威力の行使は何も生まないのではないか。

早い段階で本当のジャーナリストが真実を報道してくれていれば、違った展開になっていただろう。
(どこかの知事のコメントと似た結論になってしまった。)

領土問題の最終的解決は、外交、国際政治(戦争は論外)なのだが、日本の日本の「谷裁」政治では大義も成果もあったもんじゃない。。

※後半は広河氏とお話ししたわけでない私の考えです。