テレビは見ないから良いとして、しかし。たまたま居合わせたお店やなんかでドキュメンタリーなどが始まることもある。
新聞はまだ抑制が効いているしいつでも読むのをやめたら良い。既知の事実なら不勉強にはならないだろう。

私は被災直後を直接見たわけでもない。海岸から100km以上離れたところで僅かな期間、物資を発送しただけだ。このことは昨年4月に書いた。

でも思い出すのである。

避難所から送られてくるリストに基づき集積場から物品をより出しトラックに積んで行く。リストは簡単なフォームになっていて必要なものにマルをつければ良い。「食器」とある。ただ、書き込みがある。「出来るだけ陶器の」
仮設住宅が建ち始め、生活を建て直す時紙やプラスチックしかなければどんな思いだろう。

他にも聞くまでもない、推して知るべし、と言うことがいっぱい出て来る。

自分で受け取りにくる世話役の人は、クルマが小さいので積み残しが出る。時間をかけてなるだけ詰め込むのを手伝おうとするが、待っている人が居る。ある程度で切り上げないと。

学生服。なるべく綺麗でサイズがあうもの。数人の新学年と性別、体格が書いてある。

野菜。

ないものはないのだが、必死にさがす。体育館のような天井の高いホールと屋外の集積場を往復しての作業なねだが、寒いのすら瞬間忘れている。

あの、駆り立てられるように、なんとかしたい、でも、出来ることしか出来ない。あの気持ちは絶対に忘れないけど、かと言って二度と体験したくはない。思い出したくはない。

今日も「震災から一年が経ちました。」のフレーズを繰り返し聴く。

まだ東北の人にとっては過去にすらなっていないだろう。

かけらほどの情報からでも、実際がわかりすぎるほどわかることもある。
直視することも必要だしすべての事実から目をそらし逃げるわけでもないけど。淡々と、それで十二分だと思う今日この頃。。