ここ20年来春は吉野である。
近鉄のローカル線でのんびり出かけて1時間20分。ゆったりしたぷち旅路である。
藤井寺(土師ノ里)を発つ時から石川を左手に田畑を横切りやがてぶどうの山と二上山を越え大和を行く。
ここ数年車窓からの眺めを遮る高速道路の高架橋が増えて来た。やたらコンクリートである。
必要性は認めるとして盛土に出来なかったものか?
また、近つ飛鳥のあたりは、高速道路と広域農道の橋脚が交錯しておりこれもどうかと。
結果、古市古墳群や道明寺や明日香などの社寺仏閣、平城京域にもかかる条里制の名残りや池、堤、屋敷などの田園風景が分断され、のどかな光景が損なわれていることは間違いない。
確かに田んぼの風景を護るために高速道路をトンネルや堀割構造にしたら贅沢か?
しかし、経路や修景くらいなら。。
いや、どこに何をどう造るかポリシーなく全国同じ構造物を造って行けばこうなるのも仕方がないか。
親不知の高速道路なんかも。断崖を遮って美しい人工構造物を造った、と誇らしげに感じるひとも居るようだが私の感性ではない。隠すか溶け込むべきと思う。
実際地元で動いて見てもランプは限られるし料金も要るし路地を行くと高架橋に道を遮られるし妙に便利に、なったんだか何だか解らない面もある。
これからも、「こんな国土に誰がした」みたいなことが続くのだろうと思う。保守的な階層のひとはわが国の山河を愛すること大であるはず。
割高にはなるだろうけど。身入りが減るなんて心配されるはずもないし。。
なんだかなあ。。
ふと思い起こせば。
藤井寺市内には現代的な高架道路が2本しかない。(土師ノ里の駅前はあまりに牧歌的なので除く)
もっと小さな町でもっとてんこ盛りな町もあるに違いない。
私が感じる住みやすさは、こんなこととも関係しているかも知れない。