ロードレースの仕事に関与したからには一度は見ておきたい大会であった。

前日のコース下見から、そして開会式・記者会見も含めて大会は大変オープンな雰囲気であった。
応援に来たひとや出走者の友人・知人、トップアスリートを囲んで、というより入り混じって街にとけこんで行く。
写真の中にごみ拾いのがあるだろう。スタートの前の光景である。そう、街がレースを支えている。

前日の夕食どき、繁華街では車いすをたくさん見かける。レースの前夜を謳歌しているように見える。
障がい者、と聴くとまだまだ弱い、護られないといけない、そんなイメージを持っている人の方が多いかも知れない。
そんなこと関係なく街に繰り出し僕みたいなおっさんと同じ店で同じように笑ってびいる呑んで。。

 これってええやん。

彼らは全然弱くない。フルマラソン42.195kmを速いひとでは1時間30分を切る速さで走りきってしまう。

かつ、人間の追うかも知れないハンディとは様々で車いすレースには障がい区分によって細かくクラス分けされているのも事実。
脊椎・頸椎損傷などで、単に下肢が不自由なだけでなく、上体を支えるのに努力が必要であったり、腕にチカラを込めて車いすを前に進めるにも、相当難儀するひとも居る。

そんな様々な条件で、42.195kmを走りきるのはみんな同じ。

同じだけど。コースには大きな河を渡る橋がいくつかあって、登り切るのに難渋する姿も見られる。
しゅっと高速で行けるひともしんどいだろうけど登れるか登れないかでぎりぎり頑張るひとを何人も見た。

進まない。
沿道から泣かんばかりの応援が飛ぶ。
でも少ししか進まない。
止まっては少し進み止まっては、諦めそうな表情さえ見せ、応援に押されるかのようにまた進む。
頂上が近づき、勾配が緩み、少しずつ前に。。

勿論手助けは出来ない。助力は失格。

僕には応援の声の音圧が車いすを押し上げているように見えた。

速いひともしんどいのは同じだろう。フィニッシュに駆け込む時、全力のほぼ100%を使い切って入るだろう、と
思う。表情を見れば判る。

僕は障がい者も障がい者スポーツも何にも判ってないかも知れないけど、とにかくいろんな魅力がある。
こころの眼で見て必死で応援できるような何か魅力がある。