関西広域連合・大阪府の災害復旧応援要員として熊本県大津町に1週間行って来ました。
(5月15日から21日)
大津町は、熊本市の西側、で阿蘇山とのあいだ、熊本市からクルマで30分ほど熊本空港から20分程度。農業・畜産業の盛んな町、熊本市のベッドタウンとして人口が増えているところ。
罹災証明の全壊判定世帯が約90件。鉄筋コンクリート造の役場も被災し、外観はさほどでないですが、増築部分、内装、自動ドアやガラス窓などを中心に被害が大きく、庁舎として使えない状態になっていて、被災から1ヶ月を経てまだまだ大変な状況でした。そのため、町役場は、隣接する「オークスプラザ(町民交流施設)」に臨時に執務室を移し、業務を行っています。
ちょうど、り災証明の発行が始まったところで、府職員10名で、関係事務の応援にはいりました。
避難所は、全体として避難者の人数が減少に向かっているものの、大阪府が担当した総合体育館避難所でも夜間は50名以上、日中で20名程度の避難者がおられました。
(この時は町内12カ所の避難所がありましたが書いてる6月はじめには6カ所になったそうです。)
地震発生後、庁舎が被災し、仮の執務スペースの確保に追われたこともあり、町職員の方々は休息の間がなく明らかに疲れているけど頑張っている。
オークスプラザの吹き抜け部分が罹災証明書の発行カウンターを臨時に設け、長机をはさんで、申請者と担当者が向かい合い、狭い机上にパソコン、申請書などを拡げる状態でした。
宿舎は八代市内に確保していただき、電気・水道はもちろん、買い物、食事にも何ら困難はないのですが、大津町へは、クルマで平常時で1時間のところ、九州自動車道が一部崩壊して片側対面通行の区間があり、片道約1時間30分を要し、あえて言えばこれが1番しんどかったところです。
ちなみに、八代市役所も被災し、庁舎としての使用はストップ。商店街には、地震の影響で閉店してしまったスーパーがあるし、比較的目立つ余震も数回経験するなど、八代も熊本市などからは遠いけど無事とも言えない状態で、飲食店のおかみさんなども怖い、と言う話をされていました。
個々の業務の詳細は控えるとして、実際に被災された方と接した体験を書きますと、地震発生時の体験、家屋の被害の詳細な模様などを仔細に聞くことになるわけです。そのお話と言うのがひとつひとつ深刻で、真摯に耳を傾けていると、それだけで喜んでもらえたり、逆に言葉に詰まる方がおられたり、怪我をされた方、家具の下敷きになり脱出された方、建物とドアが傾いで出られなくなった方、毎日大勢の被災者の方がみんな違う状況で、それぞれ過酷な災害を切り抜けてこられて来た、それが伝わってきて、なんとも軽々に表現できない気持ちになりました。
全般に、大阪府の防災服を見て、「遠くから大津町に来ていただいて」などと感謝されることも多く得がたい経験であったと感じています。
以上、5月に書きかけていて、下書きのままにしていました。生々しい体験、それもかなり控えて書いていますが、軽々に日記で公開できないなと思ったままになっていた。。
それからも災害は続いて起こっているし、起こった災害は終わったわけではない。東日本大震災でも。また仮設住宅に居る人がいるし。いろいろな面で。
だから、すべてのひとが無事に幸せに新年を迎えられますように、とも軽々には言えないのであるが、せめてもの気持ちとしては、糸魚川などで現に災害に直面されて居る方も、何か、ひとつでも希望につながる持っていただけるような、そんな年末、新年を迎えられますように。
何もできないけどお祈り申しあげたいと思います。