日: 2013年9月10日

2013夏。被災地を訪れて その2

何よりも驚いたのが気仙沼の船である。

しかし、同じくらい驚いたのがまわりに拡が夏草ばかりの荒涼たる風景。
ときたまボランティアツアー(私のような)や見学に来るクルマが目にはいる。

街並みはともかく、船は解体し撤去される予定と聞く。
しかし、残すべきと言う声も多いそうだ。
ここは気仙沼でも大きな被害を受けた鹿折と言うまちである。

自らも被災者であるバスガイドさんの話が印象に残る。
真顔で「あの船がなくなると鹿折には誰も来てくれなくなる」と心配するお年寄りが居るのだと言う。
動機は物見遊山でもと言うことか・鹿折のことを気にかけて訪ねてくれる人が居なくなると
切ないのだろう。

被災から900日以上経つというのに、首相からは「復興もだいぶ進んでいるようだ」と言われ
どこを見てきているんだろうか?

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気仙沼の写真 続く。


2013夏。被災地を訪れて その1

結局、物理的には何も復旧していない。復興なんて想像すら出来ない。

救いは、被災地で先頭を切って動いているバイタリティあふれるひとびとである。
人的、社会的には希望が見えるのだが、物理的経済的な生活基盤が全然復旧していない。

一方で復興を加速するから、と言って高速道路が急速に建設されている。

美しい気仙沼大島。太平洋と湾内が360度を囲んでいる。
牡蠣養殖を営む若者は、牡蠣いかだの再生費用の調達に愚痴をこぼしながらもずしりと重たい
牡蠣を手に
希望を語ってくれた。

フェリーからの眺望。ウミネコ。ドリーム。
被災地のひとも被災地を知るひともこころは前を向いている。

気仙沼大島。津波が太平洋と湾内から島を横断した。
建物は仮設のものが建ちはじめた。が、消波ブロックの作製が軌道に乗り始めたばかりで船着き場も沈下したままである。

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気仙沼と大島の被災状況。
まだ傷跡が残ったまま。しかし、お魚市場、民宿、仮設の商店街など、たくましい部分がある。ここの人間はがんばっている。
しかし東京の人達の復興の取組はどうなのだろうか。
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続く。


Leo 今日の一枚 Vol.1 082

朝から寝ぼけてる?

散歩から帰ってきて一瞬でこの態勢にはいるかー。

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