日: 2016年6月17日

高橋尚子杯ぎふ清流マラソン

熊本地震の復旧のため、熊本県大津町へ派遣される前日、5月14日になるが、実は私は、高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソンにエントリーしていた。ちょうど出発日にあたってしまったので当然キャンセルすることに。それも派遣に応募する時から判っていたことだし、ボランティア根性と言うか思い立ったら未曾有の災害での救援と(また走れる)マラソン大会と、判断の基準ははっきりしている。

が、しかし、この大会は実は思い入れのある大会。さかのぼること2012年、大阪マラソン組織委員会事務局勤務時に、視察を提案し、唯一ハーフマラソンであると言う理由で取りやめになった、しかし当時から運営的には評価の高い大会で、いつかは見てみたいとと思っていた。

それで、エントリーにあたっては、抽選漏れは悔しいので、1万円のチャリティエントリーを選べば無抽選と言うことで、確実に出走機会を確保していたのだ。さらに、これが、この大会にほれ込むところなんだけど、早くから心肺蘇生講習を採り入れている大会。一般ランナーを対象にハートサポートランナーを募り、講習を行ったうえで当日の不足の事態に備えている。
そのハートサポートランナーと、講習にも申し込んでいた。

派遣前にちょっとした遠出をして体調を壊したりすると被災地に貢献、どころか大迷惑になるし、組織的にも許されないプレッシャーがあるのだが、やっぱり前日の講習、ランニングミーティングと受付だけでも参加して大会の雰囲気を味わって来ることにした。
そう、言い訳としては、参加賞のTシャツを貰わないといけない。(参加案内には不出走の場合郵送してくれるとも書いてあるのだが)
関西ワンデイパスを使って日帰り3,600円の大会前日「だけ」ツアーを虚構したのだ。

結果、気が済んだ。

会場のぎふメモリアルセンターへは、臨時バスも出て、地元が総力でサポートしている感じ。ぎふメモリアルセンターので愛ドームで、まず受付を済ませる。

あれ、Tシャツが紺色のと、白いのと2枚ある!受付のボランティアスタッフに、「むっちゃお得!ありがとう」と声をかけてもらってきたが、これ、チャリティランナー
へのサービス。。しかしそれにしても通常のエントリーフィーとの差額はそんなにある訳ではないので、これで元が取れている感じ。東京マラソンや大阪マラソンのチャリティーランナーとは違う。
しかも、これ、高橋尚子さんが、ちゃんと意識してくれてて、後日、黒部名水マラソンの前日イベントでうれしい展開になるのだが。。(これはまたあらためて紹介します。)

続いて、急ぎ足で出店の焼きそばをかき込みながら、高橋尚子ランニングミーティングに参加。好天に恵まれ会場の芝生広場のステージは暑いけど、とっても気持ちが良い。高橋尚子さんと、これが引退表明後初めての公式の場への露出と言う野口みずきさんも登場。みずきちゃんの晴れやかな笑顔とどこかふっきれたような「今までたくさん応援してもらったから、私もいっぱい応援していきたい」との言葉はこの日の青空にも増して気持ちが良い。

そしてアヤキチこと、西谷綾子さん。タレントランナーやんなあ、くらいの認識しかなかったけど、フルマラソン3時間で走る女子タレント最速とか。それを達成する影にはひたむきな努力と前向きさが
あることが良くわかった。「マラソンは完走するまでは、無理かもと思っていても、達成すると次が見えてくる。そしてサブ3.5、国際試合に参加できるようになるサブ3.15と達成するたびに次の目標が見えてきて新しい励みが次々に出てくる。」と。市民ランナーとして走ることの醍醐味を体現しているのである。偉い。また、それにも増して、こうしたゲストの良いところを引き出す高橋尚子さんの能力もいつもながら大したものである。

そのあと会場周囲を計3週、3kmほどだろうか?をランニング。ちょっときゅうちゃんのまわりはランナー過密気味で危なっかしかったけど、ヨコヨコで談笑しながらのUPはとても楽しいものであった。またまた川内祐輝選手のカレーネタとか、結構ばかばかしいお話も交えつつ、きゅうちゃん追っかけメンバーのひとりになっている自分が居る。

その後、残すはハートサポートランナー講習。大阪ライフサポート協会・大阪マラソンでは、インストラクター側なので、勝手はわかったもの、だが、この大会では、岐阜の心肺蘇生普及チームが運営していて、教材が「スクウマン」、ビデオ素材も違うし、講習内容は共通の心肺蘇生ガイドラインに沿っているから同じであるのだが、微妙に細部が違うぞ。叫ぶ言葉が違う、安全確認の際に、「できるだけの(感染予防)防護措置をしました。」との確認がはいるなど。

応急処置KITなどおまけも貰えて、主催者としても安全への気合を感じることができる。
さて、まだまだ会場を散策し、EXPOのテントブースなども見たいのだが、サングラスだけ買って、そしてご褒美の生びいるを何倍か楽しみ、帰途に着くことに。明日は早い。。


第33回カーター記念黒部名水マラソン完走記

昨年、私にとっては、前々月のとくしまマラソンに続き2回目のフルマラソンであり、初めて4時間を切るタイムで完走したこの大会。
しかし実態は、サブフォー達成の達成感につつまれて堂々とフィニッシュ、と言うイメージではなく、暑さと高低さに負けて、37km地点で歩く寸前のスローダウン、左腸脛靭帯の痛みと右ふくらはぎの痙攣で息も絶え絶えの完走。
フィニッシュ後はしばらくビールを飲む元気もなかったほど。マラソンの厳しさを思い知った。

今年は雪辱するべく、そして、やはり前月のとくしまマラソンでサブ3.5を達成した勢いで、「上り下りをほぼイーブンペースで走り、自己ベスト3時間25分達成」を目標に富山にやってきた。

結果は、次の表をみてほしい。


だいたい、上り坂で若干のスピードダウンのを見込むと、後半かなりスピードアップしないといけない。ペース配分を考える中ではどう工夫しても今の実力では3時間30分切りが実現できそうにない。
実は、事前に綿密なペース配分を考え、直前の走りこみで上り、遅いとき、速い時とペース感覚をつかむようなトレーニングを計画する。

しかししかし。前日の天気予報ではやや低めの気温になりそう、ラッキーと思ったのも束の間。燦燦と太陽輝く絶好の好天となり、昨年同様25度を超す暑さに。(高低差はこれは
毎年同じ120m。)上り1回下り1回で上ったり下ったりでないのが救いと言えば救い。

結局前半はそこそこのペースを保つが、やや上りでがんばり過ぎたか?エクセル表の赤字の部分、12km前後の坂でイーブンペース、続く下りで加速、したのが響いたのであろう。折り返しを過ぎて
くだりにはいってから、脚は大丈夫なのだが、給水を頻繁にとり、どうしてもこの大会の特徴である、名水、と塩・梅干を別々に採ることが多くなるためか?全身の疲労感が半端ではない。
やはり、35kmくらいで、スローダウン。気力で頑張ればペースを保てたかも知れないが、ストレスを感じないで走る、のがポリシーであるため、じりじりと楽なペースを探すことに。
が、一向に楽にならないのである!転機は37kmでの塩ソフト。。薄塩ラーメンと塩ソフトを連続でいただき、ソフトクリームは、多くのランナーがコーンの「持つとこ」は食べ残しているようであるが、手に持って、食べながら走ることに。
これが不思議に効いて来る。ちょっとずつかじって40kmくらいまでソフトとともに走る。自由の女神のような気分。「持って走っている!」て掛け声も聞こえたりしてモチベーションUP。
40km 42kmと給水所では欠かさず水を浴びクールダウン、一瞬脚を止めざるを得ないが、水も飲んで生き返る。おかげで、フィニッシュの体育館が見えるあたりから加速、フィニッシュ直前には多分4:00/km近くまでスピードアップして
息を切らせてフィニッシュ。一方的なスローダウンでなく、最後にスパートできたので、少しは気持ちよかった。
それに、昨年と違っておなかも減ればビールも飲みたい。猟師なべ、水だんご、鱒寿司、の順に少しずつ食をすすめ、そしてビールで乾杯!!
しんどいけど面白かった!!

完走記は以上。

今回も本番以上に印象深かったのが、前日イベントの生地街歩きと高橋尚子トークショー。なんと野尻あずささんが来てくれた。
街歩きでは、本当にめだたない、清楚な白いシャツとパンツルック、キャップをかぶってちいさな女の子が街歩き一行の一番最後から着いてくる。そんな感じ。
きゅうちゃんが時々引き立てようと、のじりちゃん、と声をかけるけど、それ以外はさっと引いてる。すごいランナーなのに。

(私は、きゅうちゃんが呼んだときには、あずさちゃん、あずさちゃん前いきいやあと、背中を押す役をやってたりして。。)

トークショーでは、きゅうちゃんが、「今は充電期間、でも、これまでもみんなにいっぱい応援してもらって走ってきたので、みんなを応援できるときはしておきたい、そんな気持ちでプライベートでここに来てくれました!」て紹介。
そしたら、のじりちゃん、涙を浮かべている。
どんな想いが去来しているのか、本当のところはわからないけど、応援でちからを貰ったのがとても嬉しかったのと、心から地元で育ててもらった大会とそこで走るランナーを応援したい、その気持ちは本当に本物なんだ、とぐっと来た。聴けばスキーの世界選手権選手を争ったところから、マラソンに転向し小柄で控えめな印象とは違って。大変なチャレンジを続けてきた選手。あっけらかんとマラソン楽しんでいる僕ら大勢のランナーを見て、何か感じるものがあったのかも知れない。

ひとりで走っているようでも、家族やボランティアやその他いろんなみんなのおかげでマラソンを走ることが出来てるんですよ、
ときゅうちゃんが言い続けている、その言葉がさらに実感できたような気がした。