Leo。ベッドサイドで眠る。。
かわいい。。
今年は大阪マラソンのプレッシャーから解放されたせいもあって高槻JAZZであれもこれもとやろうとし、やろうとした。が、新しい職場がラクなわけがないだろう。(エライやり甲斐を感じさせてくれるポジションで。。こちらの方が充実しすぎ。)
あれもこれものうちのかなりの部分をやり尽くせず、良くいえば頑張った、悪く言えば企画倒れ、気持ちだけ。。燃え尽きてしかも生焼けな不完全燃焼の感をひきづりながら5月から6月を生きてきた。
何点かカミングアウトしておかないと次にいけないので、しかし、今日は眠いので手短に書ききってしまう。
1.シンバルを忘れて包丁一本で演奏。
いや、ブラシだけで演奏。
3つの出演のうち、もっとも楽しみにしていたところでシンバルを忘れ、シンバルなし、ブラシだけで演奏することに。
これは演奏者として恥である。スタッフも兼ねていて自分のと会場配置の機材とがこんがらがってしまって自分の管理出来る限界を超えてしまったと言うところである。
一緒に出ていただいた方には大変ご心配ご迷惑をおかけした。懺悔。
出来れば同じメンバーでやりなおしとはいかない(JAZZにはやりなおし、やリベンジはないと思ってる。)が新しい演奏をしたい。
2.松坂屋屋上会場
こちらはほぼ毎年受け持っていることもあり、イベントを創る役目を楽しむことができた。
その中で特にボランティアスタッフのリピーターを獲得し、定着していただけるひとが出てきたこと、未経験のボランティアスタッフに高槻の楽しさ、運営の醍醐味を伝えることが出来るようになってきて、大変やり甲斐を感じた。MCを担当していただいたヴィジュアルアーツ専門学校の生徒さん、最初の固いノリからプログラムを進める度にぐんぐん上達し、2日めは自ら客席にアピールするたくましさを身に付けてくれた。その上達の度合い・経験を次に活かしていける人間的な進歩をも見せて貰えた気がして、自分としても今までで一番大きな収穫であったような気がする。
3.ドラムスを7セット持ち込んだ。やりすぎ。出演者への発信が事務局全体の事情もあり、やっても情報がないと結局役に立たないという当たり前のことを実感。来年はイベントを盛り上げる要である「出演者が快適に準備し楽しみ楽しみに来場いただける」役目に行くぞ。
4.練習
朝練を中心に良く練習したな。しかし、出番が複数あると間に合わない。まとまったのもあれば、結果的に誤魔化してしまったのもある。が、これではいかん。ぱしぱし(自分で自分をどついている。)
4ビートからラテン、フュージョンまでオールマイティに演奏できなあかんのだが、得手不得手はあって年齢的な限界もあるだろう。今不得手なジャンルを数年で得意に持って行くのは限界があるかも知れない。貪欲に行くべきか、かなり的を絞ってしまうか、音楽にかけるエネルギーを他からもっとつぎ込むか?何か考えているだけでなく決めないといけない。もう40歳だからなあ。僕も(笑わない。)
いろいろあるけど、来年でそろそろ10年近く高槻に関わっていることになるだろうか?
オーディエンス、ボランティア、ミュージシャン、全部の視線が判る立場にあるのだけど、実感するのは自分と違う立場のひとの気持ちにどれだけ寄り添い、気付いたことをどれだけ実践できるか、そこが一番大事だと思う。
今日は書くことがいっぱいある。
ドラムス子から父の日の贈り物を貰った。と書いた。何を貰ったか写真をつけてなかったのでつける。
小江戸?COEDO 伽羅と読める。なるほど製造元から川越の地ビールかな?伽羅とはまた粋な。
市川団十郎の襲名披露公演に歌舞伎座に出かけたのはほとんど30年前だろうか。その時に見た助六由縁江戸桜。敵役の意休が焚きしめていた香が伽羅だったと思う。
歌舞伎っておもしろいんだな。助六寿司、と言う名前は助六の情人が総角(あげまき)だったことに依る。(語源というか洒落なんだろうな。)江戸文化の華というか。
? て? 助六寿司はお稲荷さんと巻き寿司の組合せだ。揚げと巻き。。。
この公演では登場人物が歌舞伎座の売店で買った団十郎バッジを付けていて、科白に出てきたりする。この辺がくだけている。
そう言うものを多分ネットでめざとく見つけて来て、にコっと笑いながら僕の反応なども想像しつつニヤけてにやけてオーダーしてくれたんだろうな。
写真は父いちろべえの最近の様子と開封して感慨にふける様子である。
(しゃべれるしドラムもたたけるのはあの有名な白いいぬと同じである。)
(包みを押し戴き、あけては抱くよう寄り添うように矯めつ眇めつしていたのは本当である。)
写っているビイルは、黒ビールに近い色でこれを伽羅の色になぞられえたものらしい。が、香りはこれは伽羅ではないだろう。ベルギービイルでこんなのがあったよなあ、と思わせる良い香りがする。
ひとりで呑みすぎないよう、50m歩いて私の父に二本ほどおすそわけしてきた。。
今日は父の日。
例年ならほとんど気付かずやり過ごすのだが、今年はちょっと違う。
昨夕、どら息子から贈り物が届いたから。
で、包みを開けて感慨ひとしおのおとうさん役をLeoにやってもらったのがこの写真。
もちろん、贈りもののびいるを呑む役はいちろべえ(私)
そう言えば僕も父親なんだった。
貰える資格を認めてくれてるんだ。
否。親はあほばっかりしてても子どもはしっかり育つと悟らねばならないのだろう。
(今日はブルージンジャズオーケストラのLIVEでしおりちゃんー、ちかちゃんー、ユミちゃんー、て叫んで来た。あーおもしろかった!)
そしたら息子が在籍してた大学ビッグバンド出身者が2人居る。縁だ。
年齢的に近いからすれ違って居るかも知れない。
また、最近、永い闘病を経て他界したメンバーの紹介・追悼と息子さんのトランペット演奏があった。
私より若いではないか。
しっかり音楽のある人生を共有していたのだな。何か感無量であった。
私なら。。痛いよう暗いよう狭いよう(?)
騒いで家族を困らせ立派な最期を看取られるどころではないだろう。
親のあり様に関わらず子どもは信じるに足る強さと優しさを持っているものなのかも知れない。
共通点は音楽かも知れない。
(しかし音楽をともにやってきたひとを失うのを失うのは、普通の別れよりさらに辛いとも思う。数年前。ある体験がある。ましては肉親なら。。)
が、哀楽入り混じった複雑な感情を抱きつつも、華麗でスカッとした演奏は
父の日に聴く最良のLIVEであった。
ブルージンジャズオーケストラ。
若者と古参メンバーがテーマを確かに持ち、長年の練られた方法論で仕上げた素晴らしい演奏だった。
こうゆうのに少しでも近いOrchestra
で私も演奏したいな。
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