遊ぶときは結構野生をむき出しにしています。ううぅ。がお。
自分でガム加えてきて、僕が取り上げようとすると、怒るんだけど、手をひっこめるとまた、近くまで寄ってきて
手出しするとがっぅう。。それ繰り返してるのが面白いらしい。スポーツなんだろうな。
と、言ってもさんま様方がたくさん出席する集まりではなくて。
東日本大震災ではたくさんの方が被災され、京阪神に避難されている方も少なくない。
こうした方との交流の場に参加させていただいている。
甘露煮、さしみ、つくね、あれこれ。流石新鮮なさんまを空輸してもらっただけある。
夏に訪れた被災地の写真やかの地の現状もあわせて肴にして、語り合うこと、というか騒ぎあうこと2時間あまり。
震災から950日経った。
宴会では本当に楽しいひとたちなのであるが、避難、というからには一時的なものという限界があって、住居や支援策なども期限が到来するものが今後出てくるそうだ。復興が劇的に早く進むのでなければ、避難生活は長引かざるを得ない。
これからどうしよう?と言う場面がそこまで迫っているんだけど被災地の窓口に相談すればいいのか、避難している今の住居の窓口に相談するべきなのか。
悩ましい切ないことである。もう一度避難しないといけないようなことにはしてはいけないと思う。
きゃー大変。
今日は祭りというのに。
明日は祭りというのに。
明日は藤井寺ジャズオーケストラのリハーサルというのに。
ライフサポート協会のAED指導者講習会を受けないといけないのに。
どうも左膝の靱帯?だろうか、膝の内側のところが熱をもってて腫れている。
それくらいはいいのだが。
ひきずっても痛くて歩けない。
ずっと痛いわけでなく、動かし始めに強い痛みが。
つま先を持ち上げ気味に歩いたり、膝から下を手で持ち上げるように副えると、ずいぶんマシ。
曲げる、より、足を持ち上げるときに内側がぴーんと痛いの。
安全祈願祭の写真を撮ったら整形外科に直行。。
なさけない。。。
膝だけポケモンセンターに預けたい。。
逆にG3にも同じことが言える。
GX7を買ってしまった。フルサイズのEOS5mkIIに優るとは思わなかったけど、今までのマイクロフォーサーズ機から格段の進歩をしたようで、G3の代替にはいいかな?と。
確かにいい。間違いなかった。ISO6400でも暗部のノイズが少ない。EOSと比べるのはなんだけど、色乗りの濃厚さは、少し近づいて来たようにも思われる。フルサイズ機の最新モデルはさらに前にいっているだろうから、取って代わるところまで行くとは思わないけど。
でも、これなら展覧会で発表する作品でもかなりの高感度で使えそう。Leoが綺麗に採れること間違いない。
しかし、手元においてあらためてG3と比べてみると、あることに気付いた。
ノイズリダクションは長時間露出の時だけ効くと思っていたのだが、フォトスタイルで設定するとG3でもGX7でも段階的にノイズリダクションを強目足り弱めたりできる。これ、RAWで撮ることが多かったので気付いていなかったお粗末。
ためしにG3でISO3200 NR+2、+1で撮ってみるとこれも意外といける。
ちょっと塗り絵調になるけど、EOSも同じ傾向があるので、馴れている身には、かなりいい感じにも見える。
くっきりはっきりあざやかになるから。
ではG3のノイズリダクションを発見すれば10万近い買い物は不要だった?
いや、Leo撮りには十分であってもこれまで桜の撮影につかえなかったLUMIXを本格的に使えそうだ。
とすれば。EOS要らない?
ということになればむしろいいのだが、これはこれでボケ味が必要な場合、14mmレンズが必要な場合には、とっておきの機材だし。。どんどん深みにはまっていく。。。
2013年8月29日。震災から900日を経た浪江町光景。
東北で復興はおろか復旧さえ進んでいないものはたくさんある。
鉄道。仮復旧と言う名前でバスになっていく。本数は増えるが速度は遅い。
商店街。閖上(ゆりあげ)さいかい市場などが頑張っているが、仮設である。仮設でもひとが頑張っていて、明るいのがまたやりきれない。
復興予算で認められるカキの養殖筏はFRPでつくって減価償却しないといけないらしい。
竹で造って朽ちるまで大事に使うのはいけないらしい。何が?
先日の水害で被害を受けた京都・嵐山は急速に綺麗になっていく。東北で比較的被害が少なかったと言う松島は
護岸沿いに整備された遊歩道の化粧タイルが剥がされてあちこちに積み上がられている。再開を諦めた店もあるようだ。
なぜに東北は阪神より苦労しなくてはいけないのか?
災害の規模や重さのせいにできるものではない、いや、規模が大きいほど早く手当しないといけないはずだ。
災害の規模や被災の程度にかかわらず、耐えて行きようとする人間の大きさはどこでも同じではないか。
第33回大阪府庁写真部展
「被災地のいま」と「れお」を出展。
今日は14時まで会場におります!
■ピルゼンギャラリー 心斎橋大丸東
■2013年9月12日木曜から17日火曜
■10時から18時(最終日16時まで)
ゆりあげ、と読むのだと知った。
関西のひとは、今回同行したひとはほとんど知らないようだった。
閖上漁港での津波の高さは8.5m
700名以上の方が犠牲になる。
鳴らなかった防災無線。
津波は過酷だ。
が、今の閖上は。
津波から900日を超えて元の街が戻らない。
まだ発見されていない方が40名以上おられるとのこと。
仏教関係のボランティアの方が側溝などのがれきを分別していた。
遺品などがあるかも知れないのだそうだ。
蛇足だが、被災地の写真は私の属するクラブ展で紹介している。
Webでは小さな写真だけど、大きなプリントで見ていただけたらまた違った印象があるかも知れない。
(03)第33回大阪府庁写真部展
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http://homepage3.nifty.com/piruzen/
■ピルゼンギャラリー 心斎橋大丸東
■2013年9月12日木曜日から17日火曜日
■10時から18時(初日は13時から 最終日は16時まで)
何よりも驚いたのが気仙沼の船である。
しかし、同じくらい驚いたのがまわりに拡が夏草ばかりの荒涼たる風景。
ときたまボランティアツアー(私のような)や見学に来るクルマが目にはいる。
街並みはともかく、船は解体し撤去される予定と聞く。
しかし、残すべきと言う声も多いそうだ。
ここは気仙沼でも大きな被害を受けた鹿折と言うまちである。
自らも被災者であるバスガイドさんの話が印象に残る。
真顔で「あの船がなくなると鹿折には誰も来てくれなくなる」と心配するお年寄りが居るのだと言う。
動機は物見遊山でもと言うことか・鹿折のことを気にかけて訪ねてくれる人が居なくなると
切ないのだろう。
被災から900日以上経つというのに、首相からは「復興もだいぶ進んでいるようだ」と言われ
どこを見てきているんだろうか?
気仙沼の写真 続く。
結局、物理的には何も復旧していない。復興なんて想像すら出来ない。
救いは、被災地で先頭を切って動いているバイタリティあふれるひとびとである。
人的、社会的には希望が見えるのだが、物理的経済的な生活基盤が全然復旧していない。
一方で復興を加速するから、と言って高速道路が急速に建設されている。
美しい気仙沼大島。太平洋と湾内が360度を囲んでいる。
牡蠣養殖を営む若者は、牡蠣いかだの再生費用の調達に愚痴をこぼしながらもずしりと重たい
牡蠣を手に
希望を語ってくれた。
フェリーからの眺望。ウミネコ。ドリーム。
被災地のひとも被災地を知るひともこころは前を向いている。
気仙沼大島。津波が太平洋と湾内から島を横断した。
建物は仮設のものが建ちはじめた。が、消波ブロックの作製が軌道に乗り始めたばかりで船着き場も沈下したままである。
気仙沼と大島の被災状況。
まだ傷跡が残ったまま。しかし、お魚市場、民宿、仮設の商店街など、たくましい部分がある。ここの人間はがんばっている。
しかし東京の人達の復興の取組はどうなのだろうか。
続く。
NPO法人大阪府高齢者大学校の有志の面々と被災地の今を見てきました。
2013年8月27日 仙台空港・閖上(ゆりあげ)地区
28日 気仙沼・大島・石巻
29日 松島を経て相馬・南相馬・浪江町
宮城を中心に災害後2年を経た現状と復興の有様を見学し、被災者やボランティアのお話しを伺い交流しました。
福島県の浪江町では町の職員の方に帰宅困難区域を案内していただいた。
常磐線では未だに不通区間がある。
浪江町は人が長時間滞在出来ないため、全く復興が少なく、地震で壊れた家はそのまま、漁船や廃車も田畑に残っている。
が、閖上も気仙沼も石巻も、がれきがほぼ片付いた(なくなってはいない。)ものの、津波に流された家の基礎が残り、電柱が立ちつくし夏草が生い茂る荒涼とした風景が拡がっていた。 双葉町の一次避難所、埼玉県加須市の旧騎西高避難所には7月19日現在107人が暮らす。
阪神淡路大震災からの復興はこんなに遅くはなかったのでは?と調べてみると(wikipedia他から抜粋引用)、次のような状況である。
JR東海道線 地震発生から74日後の4月1日に最後の不通区間である灘駅 – 住吉駅間を復旧
山陽新幹線 新大阪駅と姫路駅の間が不通となっていたが、81日後の4月8日に不通区間を解消
阪急電鉄: (地震発生から146日後の)6月12日
山陽電気鉄道 : (152日後の)6月18日
神戸電鉄 : (156日後の)6月22日、全線が復旧。
阪神電気鉄道 : (160日後の)6月26日
埠頭・コンテナバースが復旧1997年(平成9年)3月31日(2年後)
避難所 1995年1月23日1153カ所 避難者数316678名 1995年7月20日災害救助法に基づく避難所廃止
応急仮設住宅に入居出来ない6672名を対象に1997年3月31日まで12カ所の待機所を運営
仮設住宅 ピーク時約46000世帯。2000年1月14日に解消
2年6ヶ月後の東日本の現状をどう見るか。
原発事故があったから。災害の規模が大きかったから。大阪のような都心ではないから。
そこで生きている人には言い訳にならないだろう。
被災したひとたちは「普通に暮らしたい」、それ以上は何も願っていない。それが良く解った。解ったが進んでいない。こんな当たり前な願いが2年以上放置されてような感がある。
では何をなすべきか、引き続き考え、出来ることはやっていくことにする。
(写真は閖上地区)
ブルージンジャズオーケストラにお邪魔してのビッグイベント、終わりました。
(フェイスブック連携テストを兼ねてますのでいちろべえとLeoの日記と重複するかも知れません。その節はご容赦を)
久しぶり、昨年11月以来のビッグバンドでの演奏だったし、2回のリハで8曲仕上げると、まあハイレベルなバンドで無謀な挑戦をしたことです。
結果、冷や汗というか、自分的にはカナリやってはいけない、やるはずのないミスを連発してしまい、しばらく反省謹慎モード。
しかし、楽譜をかなり徹底的に読み込んでビッグバンドのドラミングの記譜もそうだけど、個々の部分の意味が良くわかって大変勉強になった。
が、それを実際にやるのは大変なのであって、読み通りハマッたところより、アタマはまわっても手が出ない状況が多かったか。
あと、カウントやね。(汗)
良く考えたら本番でカウントインする経験それほど多くないのもあってずっと苦手のまま。
これも、苦手を克服するきっかけは掴めたのだが、。きっかけであって直らんのがツライところ。
いやー、実習材料みたいになっていただきましたブルージンの皆さん、(さぞ、冷や汗、スリリングだったのではと)、また、聴きに来ていただいた皆さん、ありがとうございます!
今日は書くことがいっぱいある。
ドラムス子から父の日の贈り物を貰った。と書いた。何を貰ったか写真をつけてなかったのでつける。
小江戸?COEDO 伽羅と読める。なるほど製造元から川越の地ビールかな?伽羅とはまた粋な。
市川団十郎の襲名披露公演に歌舞伎座に出かけたのはほとんど30年前だろうか。その時に見た助六由縁江戸桜。敵役の意休が焚きしめていた香が伽羅だったと思う。
歌舞伎っておもしろいんだな。助六寿司、と言う名前は助六の情人が総角(あげまき)だったことに依る。(語源というか洒落なんだろうな。)江戸文化の華というか。
? て? 助六寿司はお稲荷さんと巻き寿司の組合せだ。揚げと巻き。。。
この公演では登場人物が歌舞伎座の売店で買った団十郎バッジを付けていて、科白に出てきたりする。この辺がくだけている。
そう言うものを多分ネットでめざとく見つけて来て、にコっと笑いながら僕の反応なども想像しつつニヤけてにやけてオーダーしてくれたんだろうな。
写真は父いちろべえの最近の様子と開封して感慨にふける様子である。
(しゃべれるしドラムもたたけるのはあの有名な白いいぬと同じである。)
(包みを押し戴き、あけては抱くよう寄り添うように矯めつ眇めつしていたのは本当である。)
写っているビイルは、黒ビールに近い色でこれを伽羅の色になぞられえたものらしい。が、香りはこれは伽羅ではないだろう。ベルギービイルでこんなのがあったよなあ、と思わせる良い香りがする。
ひとりで呑みすぎないよう、50m歩いて私の父に二本ほどおすそわけしてきた。。
今日は父の日。
例年ならほとんど気付かずやり過ごすのだが、今年はちょっと違う。
昨夕、どら息子から贈り物が届いたから。
で、包みを開けて感慨ひとしおのおとうさん役をLeoにやってもらったのがこの写真。
もちろん、贈りもののびいるを呑む役はいちろべえ(私)
そう言えば僕も父親なんだった。
貰える資格を認めてくれてるんだ。
否。親はあほばっかりしてても子どもはしっかり育つと悟らねばならないのだろう。
(今日はブルージンジャズオーケストラのLIVEでしおりちゃんー、ちかちゃんー、ユミちゃんー、て叫んで来た。あーおもしろかった!)
そしたら息子が在籍してた大学ビッグバンド出身者が2人居る。縁だ。
年齢的に近いからすれ違って居るかも知れない。
また、最近、永い闘病を経て他界したメンバーの紹介・追悼と息子さんのトランペット演奏があった。
私より若いではないか。
しっかり音楽のある人生を共有していたのだな。何か感無量であった。
私なら。。痛いよう暗いよう狭いよう(?)
騒いで家族を困らせ立派な最期を看取られるどころではないだろう。
親のあり様に関わらず子どもは信じるに足る強さと優しさを持っているものなのかも知れない。
共通点は音楽かも知れない。
(しかし音楽をともにやってきたひとを失うのを失うのは、普通の別れよりさらに辛いとも思う。数年前。ある体験がある。ましては肉親なら。。)
が、哀楽入り混じった複雑な感情を抱きつつも、華麗でスカッとした演奏は
父の日に聴く最良のLIVEであった。
ブルージンジャズオーケストラ。
若者と古参メンバーがテーマを確かに持ち、長年の練られた方法論で仕上げた素晴らしい演奏だった。
こうゆうのに少しでも近いOrchestra
で私も演奏したいな。
Big Band、一度だけやってみませんか?
11月23日開催予定の藤井寺JAZZ祭りに出演するためのテンポラリーBig Bandを立ち上げます。
とはいいつつ、11月までに45分間の演奏曲目を仕上げないと行けません。
また、一見JAZZ不毛の地、である南河内でのライブイベントに向けたOrchestraですので、少なくとも本番は藤井寺に来ていただかないと行けません!(当たり前?)
と、敷居が低いのか高いのか解らない企画ですが、メンバーの意見によっては、練習場所を変えたり、
11月以降も活動したり、と柔軟な運営を考えています。いろんな可能性にチャレンジ出来る。。
1.名称(仮称)
藤井寺ジャズオーケストラ
Fjiidera JAZZ Orchestra
2.募集パートと人数
アルトサックス2
テナーサックス2
トランペット4
トロンボーン4
ギター1 ピアノ1 ベース1
ドラムス2(定員に達しました!)
3.ライブ予定
2013年11月23日(祝)午後時間未定 第6回藤井寺JAZZ祭り
4.リハーサル(練習)会場
藤井寺市林5丁目 林町会館 または大阪市内~南河内のスタジオなど。
林町会館でのリハーサルでは機材を100m程度、運搬し、設定する必要があります。
そのかわり、コスト的には大変お得になります。
5.演奏曲目(予定)
カウントベイシー中心!
次の楽譜をベースに相談。
April in Paris
Blues Back Stage
Easy Living
Fair And Warmer
The Queen Bee
The Side Winder
Splanky
St.Thomas
Sweet Georgia Brown
Sweety Cakes
Switch In Time
Teddy The Toad
You got it
Jive at Five
FACEBOOKページを活用しております。そちらもよろしくお願いします。
藤井寺JAZZ祭り フェイスブックページ
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